人生の転機

そのために生まれた

「私は、何のために、生まれたのか」古代の物語で、王妃エステルが気づきます。自分は、自分の栄光のためではなく、この危機の時に民族を救うために、王妃の座にいたのだと。63歳で失職し、貧困に落ちた私が、70歳を過ぎてボランティアで気づいたのも同じ。その失敗や困難は、他の人を救うために、必要な経験だった。あなたも、今、どこにいますか?その場所であなただけができることは?
信仰の歩み

互いに愛する

「愛する」を、どう理解していますか?古代の言葉に「互いに愛し合いなさい。私があなたがたを愛したように」とあります。愛とは、激しい感情ではなく、相手のために自分を低くすること。イエスが弟子の足を洗ったように。63歳で貧困に落ちた私が学んだのは、相手を思いやり、行動すること。その小さな行動の中に、本当の愛が隠れている。その愛が、人生を温かく深くするのです。
日々の気づき

聞く力

会話の途中で、自分の意見を言ってしまったことはありませんか?古代の言葉に「聞くに早く、語るに遅く」とあります。相手の話を最後まで聞く。話の途中で遮らない。確認する。それから自分の思いを話す。営業時代は短期成功も人間関係は遠い。ボランティアで「聞く力」の大切さに気づきました。聞くことで、初めて相手を理解でき、愛することができるのです。
日々の気づき

心の平安

思い煩いで眠れない、食事が味わえない。古代の言葉に「何事も思い煩うな。感謝をもって、あなたがたの求めをゆだねよ」とあります。思い煩いに気づいたら:①紙に書く ②感謝を見つける ③できることをする ④ゆだねる。63歳で失職した私が学んだのは、「できることはする。できないことは任せる」という習慣が、本当の平安をもたらすということでした。
日々の気づき

柔らかい言葉

怒った時、つい厳しい言葉が出てしまいませんか?古代の言葉に「柔らかい答えは怒りを静め、きつい言葉は怒りを引き起こす」とあります。相手が間違っていても、責めるのではなく、理解しようとする態度。その態度が相手の心に伝わり、怒りは静まります。80本のタバコから禁煙した私が学んだのは、「柔らかい言葉を使う習慣」が、人間関係全体を変えるということでした。
人生の転機

帰る場所

失敗した時、帰れる場所はありますか?古代の物語に、放蕩息子が父のもとに帰る話があります。父は息子の失敗を責めず、抱きしめます。「帰る場所」とは「完璧である必要がない場所」です。63歳で貧困に落ちた私が学んだのは、友人の家、ボランティア仲間、そして信仰という、いくつかの「帰る場所」の大切さでした。そこに、本当の救いがあるのです。
信仰の歩み

主こそ、私への割り当てです(哀歌3:24)

「主こそ、私への割り当てです」(哀歌3:24)は、人生の基盤を所有物ではなく主ご自身に置く信仰告白です。絶望の中でも確かな希望を与えるみことばとして、現代の不安や揺れの中で心の安定と平安を回復させる力があります。
日々の気づき

小さな感謝

感謝することがないと思っていませんか?古代の言葉に「すべてのことについて、感謝しなさい」とあります。「すべて」とは、大きなことだけではなく、小さなことも含みます。朝日、温かいお茶、友人の笑顔——「当たり前」だと思っていたことが、実は「奇跡」です。63歳で貧困に落ちた私が学んだのは、この小さな感謝の習慣が、人生全体を豊かに変えるということでした。
仕事と学び

自分の理解に頼らない

自分で判断し、失敗したことはありませんか?人間の理解は限定的です。自分が知っている情報、経験は、世界に存在するほんの一部。古代の言葉に「自分の理解に頼るな。すべての道で、より大きな知恵を求めよ。そうすれば、道はまっすぐになる」とあります。自分の理解の限界を認識し、他者の意見を聞き、歴史から学ぶ。その時、人生は大きく変わるのです。
日々の気づき

今日一日を生きる

未来への心配で、今日を失っていませんか?古代の言葉に「明日のことを心配してはいけません。今日の苦労は、今日だけで十分です」とあります。これは楽観主義ではなく、「今を完全に生きなさい」という教えです。私は63歳で貧困に落ちた時、初めて気づきました。妻の味噌汁の味、窓から見える空の色——こうした「今日」の小さなことが、実は、人生で最も大切なものだったのだと。