奇しくも尊く造られた – あなたの存在は価値がある

人生の転機

あなたも感じたことありませんか

ふと自分を見つめた時、「こんな私でいいのだろうか」と思ったことはありませんか。周りの人と比べて、自分は何か足りないのではないか。もっと優秀だったら、もっと美しかったら、もっと能力があったら。そういう思いに苦しんだことが、誰にでもあるはずです。特に若い頃は、自分のことが嫌いだったり、自分の価値を疑ったり。そして、その気持ちは大人になっても、なかなか消えてはくれません。完璧でない自分を、どう受け入れていいのか、その答えを見つけられずにいる人は、本当に多いのです。

もし、そうだとしたら…

自分の価値は、誰かとの比較では決まらないとしたら、どうでしょう。自分の欠点や不完全さだけが、自分を定義するのではないとしたら。もしかして、あなた自身が、そのままの姿で、何か価値があるものなのではないか。そんなことを考えたことはありますか。

古い書物の言葉

古い書物『詩篇139篇』に、こんな言葉があります。「私は恐ろしく、驚くべきものとして造られた。あなたの作られたことは奇しい。」この言葉は、紀元前に書かれた詩ですが、その言葉の中には、深い真実が隠れています。

「奇しい」という言葉は、日本語では「不思議で素晴らしい」という意味です。つまり、あなたが造られたことは、不思議で素晴らしいことなのだ、と言っているのです。これは決して、あなたが完璧だということではありません。むしろ、その不完全さも含めて、あなたの存在そのものが、神の手によって、意図的に造られたものだという意味です。

その前の節には「私は母の胎内にいる時も、あなたは私を見ておられた」とあります。つまり、あなたが生まれる前から、造られる前から、すべてが計算されていた。すべてが意図されていた。偶然ではなく、必然として、今のあなたが存在するのだということです。それは何という不思議で素晴らしいことでしょう。

今、できること

では、この気づきを、今この瞬間にどう活かすか。まず、自分の完璧さを求めるのをやめてみませんか。鏡を見た時に、自分の欠点ばかり数える代わりに、「これが、私だ」と言う。自分が造られたのは、完璧であるためではなく、このままの姿で、何かの役割を果たすためなのだと。

そして、もう一つ大切なことがあります。それは、自分を大事にするということです。完璧でない自分を責めるのではなく、その自分が造られたものだと知った時に、初めて自分を大事にできるようになるのです。「奇しく造られた」あなたを、自分が一番大事にしてあげる。そういう選択をしてみましょう。

私の経験から

81年の人生を歩む中で、若い頃の私は、自分が嫌いでした。何度も、自分なんか存在しなくてもいいのではないかと思ったこともあります。貧困の中で、病気の中で、失敗の中で、自分を否定することはいくらでもできました。でも、67歳で信仰を持った時に、初めて気づかされたのです。自分が造られたのは、何か理由があるのだ。その理由を知るまでの人生も、全て意味があるのだ、ということです。

今、私は自分の人生を見つめた時に、その不完全さに感謝さえ感じます。なぜなら、その不完全さこそが、人生の深みを生んだのだから。その失敗こそが、他者への共感を生んだのだから。奇しく造られたこの人生を、今は本当に大事に思っています。

あなたへの願い

あなたが、自分のことを否定するのをやめますように。完璧さを求めるのではなく、造られたままのあなたが、何か価値があるのだということを知りますように。そして、その自分を、優しく大事にしてあげてください。それが、奇しく造られたあなたへの、最高の返礼になるのです。

今日、考えてみてください

あなたは、何のために造られたのだろう。そしてその答えが分からなくても、造られたこと自体に、意味があるのではないだろうか。

コメント

タイトルとURLをコピーしました