あなたも感じたことありませんか?

毎日が悩みと不安ばかり。朝目が覚めると、仕事のこと、人間関係のこと、健康のこと——頭の中は心配で満杯です。テレビをつければ悪いニュースばかり。SNSを見れば、他人の成功と自分の失敗が比較される。夜も眠れず、ベッドで頭をぐるぐる回す思いが続く。
「どうしてこんなに心がざわざわするのだろう」
そう感じたことはありませんか?わたしたちの心は、毎日、毎時間、何かを考えています。でも気づいていないのです——その考えが、実は選べるものだったということを。
もし、そうだとしたら……
もし、わたしたちが今この瞬間、心に留める思いを少し変えることができたら?もし、不安と悩みばかりではなく、別のものを見つめることができたら?人生って、こんなにも変わるものなのでしょうか?
古い書物に、その答えが書かれています。
古い書物の言葉
『最後に、兄弟たち。すべて真実なこと、すべて誉れあること、すべて正しいこと、すべて清いこと、すべて愛すべきこと、すべて評判のよいこと、また徳や称賛に値することがあれば、これらのことに思いを留めなさい。』(ピリピ4:8)
このことばは、今から約2000年前、牢獄の中で苦しむ使徒パウロが、はるか遠い町にいた仲間たちに送った手紙です。自分たちは捕まっている。死が近いかもしれない。でもパウロは言うのです:「何を考えるかを選びなさい」と。
古代の人も、わたしたちと同じように悩んでいました。不安もあった。恐れもあった。けれどパウロが気づいていたこと——それは、こういうことです。

わたしたちの心は、思考の習慣によって形づくられる。毎日、何を見つめているか。毎時間、何を考えているか。その繰り返しが、やがてわたしたちの人生そのものになっていく、ということです。
だから選びなさい、とパウロは言う。真実なこと。誉れあること。正しいこと。清いこと。愛すべきこと。良い評判のこと。徳があること。称賛に値すること——こうしたことに思いを留めなさい。
それは逃げではありません。現実から目をそむけることではありません。むしろ、現実の中で、何が大切かを選ぶ知恵なのです。
今、できること
思考を変えるのは、一日では難しい。でも、小さなことから始められます。
朝、目が覚めた時。ベッドの中で、今日の悪いことを想像する代わりに、昨日誰かが言ってくれた優しい言葉を思い出す。たったそれだけ。
スマートフォンを開く前に、深呼吸をする。ニュースアプリの代わりに、愛する人の写真を見る。一分間でいい。心がふんわりする写真を。
夜、寝る前に。今日あった「うまくいかなかったこと」を数えるのではなく、「誰かに親切にできたこと」を三つ思い出す。完璧でなくていい。小さなことで構わない。
こうしたことを続けると、不思議なことが起きます。心が、少しずつ、別のものを見つめるようになってくるのです。
私の経験から
わたしも、かつては不安の塊でした。63歳でうつ病になり、退職し、貧困を経験した。毎日が絶望で、朝が来るのが恐ろしかった。
けれど、そんな中で出会ったのが、古い書物でした。そこに書かれていたのは、「すべての状況を変えることはできないかもしれない。でも、何を見つめるかは、あなたが選べる」という静かなことばでした。
毎朝、わたしは朝日を見ることにしました。冬の暗い朝も、その光だけは見つめました。そうして三ヶ月、半年と続けていると、気づいたのです——心が、少しずつ、別のものを見つめるようになっていた。

完璧に不安がなくなったわけではありません。今でも悩みはあります。けれど、その悩みと同じくらい、いや、それ以上に「良いもの」を見つめることができるようになりました。
人生は、何が起きるかではなく、起きたことの中で、何を見つめるか。その選択の積み重ねで、形づくられていくのです。
あなたへの願い
今この瞬間も、あなたの頭の中では、何かが考えられています。それは選べるものです。
選びなさい。真実を。誉れを。正しさを。清さを。愛を。良いものを。
その小さな選択が、やがて、あなたの人生全体を照らしていく光になりますように。
今日、考えてみてください
今日一日、あなたは何に「思いを留め」ていますか?そして明日は、別のものを見つめることができるでしょうか?


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