問題提起
あなたは、今、心が穏やかですか?
多くの人は、毎日、何かしら、心に引っかかるものがあるのではないでしょうか?
仕事のこと。家族のこと。お金のこと。健康のこと。
朝、目覚めた時から、その思い煩いは、始まるのです。
その思い煩いが、ずっと、心に付きまとい、夜寝るまで、続く。
そして、寝ている間も、夢の中で、その思い煩いが、出てくるのです。
こうした日々が、続いていくと、心が、疲弊していきます。
やがて、体の疲れにもなり、病気にもなるのです。
でも、考えてみれば、その思い煩いの多くは、まだ起きていないことのことなのです。
仕事がうまくいかないのではなく、「うまくいくかもしれない悪いことが起きたら、どうしよう」と思い煩っている。
健康が害されているのではなく、「病気になったら、どうしよう」と思い煩っている。
つまり、私たちは、実際に起きたことではなく、心の中で、起きるかもしれないことに、縛られているのです。
では、その思い煩いから、どのように、解放されるのでしょう?
もし、心の平安を、得る方法があるとしたら?
もし、そうだとしたら…
もし、心を平安に保つ具体的な方法があるとしたら、あなたの人生は、どう変わるでしょう?
そして、その平安は、状況がよくなるから得られるのでしょうか?それとも、別の何かから得られるのでしょうか?
古い書物の言葉
古代の手紙に、こんな言葉があります。
「主にあって喜びなさい。もう一度言います。喜びなさい。あなたがたの広い心を皆に知らせなさい。主は近いです。何も思い煩わないで、すべてのことについて、感謝をもってあなたがたの願いを神に知らせなさい。そうすれば、人間の理解を超えた神の平安が、あなたがたの心と思いを守ります。」(ピリピ4:4-7)
これは、二千年ほど前に、獄中から書かれた手紙です。
書き手は、投獄されている状況にあります。
つまり、客観的には、最も、心が穏やかでない状況にあるのです。
なのに、彼は、「喜びなさい」と、言っているのです。
これは、矛盾しているように見えます。
でも、その中身を、丁寧に読むと、その矛盾は、解ける。
「主にあって喜びなさい」
つまり、状況のゆえに喜ぶのではなく、「主」という、超越的な存在に向かって、喜ぶということなのです。
次に、「何も思い煩わないで」
ここが、大切です。
思い煩うことは、人間の本来の姿です。
でも、その思い煩いを、「神に知らせる」ことで、その重荷は、軽くなるのです。
つまり、思い煩いを、抑圧するのではなく、「感謝をもって」それを、神に「知らせる」のです。
言い換えれば、自分の悩みや、願いを、ありのままに、誰かに話す。
その行為が、心を、軽くするのです。
そして、最後に、「人間の理解を超えた神の平安」
これは、理屈では、説明できない、平安のことを、言っているのです。
状況は、変わっていないかもしれない。
でも、その状況に向き合う時に、突然、心に、平安が、やってくる。
その平安が、心と思いを、「守る」のです。
つまり、この手紙の言っていることは、以下のようなことなのです。
- 状況の改善を待つのではなく、「超越的なもの」に向かって、心を向ける
- 思い煩いを、抑えるのではなく、ありのままに、表現する
- その過程で、説明のつかない平安が、心を守る
現代への適用
では、この古い知恵を、現代の生活に、どのように、活かすのでしょう?
まず、「思い煩いを、否定しない」ことです。
「思い煩うな」と、言われて、思い煩いが、消えるでしょうか?
消えません。むしろ、「思い煩ってはいけない」という、新しいプレッシャーが、加わるだけです。
大切なのは、「その思い煩いを、認める」ことです。
「ああ、自分は、これについて、心配しているんだ」と、まず、認識する。
次に、「その思い煩いを、誰かに、言う」ことです。
友人に、話す。家族に、話す。あるいは、日記に、書く。
その行為が、思い煩いを、外に出すのです。
そして、最後に、「感謝」です。
「感謝をもって」という言葉は、大切です。
つまり、悪いことばかり、言うのではなく、「その状況の中で、感謝できることはないか」と、問い直す。
失職したことは、悲しい。でも、その中で、新しいことを、学べた。
病気になったことは、つらい。でも、その中で、人の優しさを、知った。
そうした「感謝できる点」を、見つけることで、心の視点が、変わるのです。
私の経験から
私は、63歳で、うつ病になりました。
その時、思い煩いは、最高潮に、達していました。
「この先、どうなるんだろう」「自分の人生は、終わったのではないか」
そうした思い煩いが、毎日、心を、占めていたのです。
でも、その時に、助けになったのが、「思い煩いを、言葉にして、誰かに、言う」ことでした。
医者に、話す。友人に、話す。そして、神に、祈る。
その過程で、不思議と、心に、平安が、来たのです。
状況は、変わっていませんでした。
でも、その状況に向き合う時の、「心の在り方」が、変わったのです。
81歳の今、私は、「心の平安とは、状況の改善を待つことではなく、心の向きを変えることなんだ」と、確信しています。
平安への歩み
心の平安は、何か、大げさなものではありません。
一つの祈り。一つの感謝。一人との対話。
そうした「小さな行為」の中に、それは、隠れているのです。
今日、考えてみてください
あなたは、今、何に、思い煩っていますか?そして、その思い煩いを、誰かに、言ってみたことはありますか?


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