あなたも感じたことありませんか
毎日、疲れていませんか。
仕事、家族、人間関係、生活の責任。日本で生きるということは、常に何かに追われている状態です。朝起きて、夜寝るまで、休む暇もなく動き続ける。そうしているうちに、体だけでなく、心も疲れ切ってしまいます。
「もう疲れた。これ以上は無理」
そう思う瞬間が、誰にでもあります。私も63歳で仕事を失い、貧困の中で過ごしていた時、心身ともに疲弊していました。灯油のタンクを担いで1キロ歩く。その時の疲れは、単なる体の疲労ではなく、人生への絶望感でした。
こんなふうに感じたことはありませんか?
もし、そうだとしたら。。。
疲れた時、人はどこから力を得るのでしょうか?
休息ですか、それとも誰かの励ましですか。それとも、もっと深いところにある、何かを信じる力なのでしょうか。
古い書物に、その答えが書かれています。
古い書物の言葉
古い書物に、こんな言葉があります。
「あなたは知らないのか。聞いたことはないのか。主は、永遠の神、地の果てまで創造された方。疲れることなく、また弱ることなく、その悟りははかり知られない。疲れた者には力を与え、力のない者には強さを増す。」
そして、その後に続きます。
「若い者も疲れ、また弱り、壮年の者もつまずき倒れる。しかし、主に望みをおく者は新しい力を得る。わたしたちは鷲のように翼で上り、走ってもくたびれず、歩いても疲れない。」
(イザヤ40篇28-31節)
これは、約2700年前に書かれた預言書の言葉です。古い時代ですが、今の時代にもそのまま当てはまります。
「疲れた者には力を与える」
この言葉の背景には、深い考え方があります。当時のユダヤ人たちは、バビロンに捕虜として連れて行かれていました。故郷を失い、自由を失い、希望も失った状態です。彼らはどれほど疲れ、絶望していたことでしょう。
にもかかわらず、預言者は言うのです。「主は疲れた者に力を与える。新しい力を得る」と。
ここで大切なのは、「外からの力」ではなく、「内なる力」です。疲れた体を直接癒すのではなく、心に希望を与え、その希望から力が生まれるということです。
そして、その力は「鷲のように翼で上る」。つまり、地上の困難を乗り越えて、高いところへ上がっていくという意味です。
「走ってもくたびれず、歩いても疲れない」
これは、外の状況が変わることではなく、内の心が変わることによって、同じ状況でも異なる見え方ができるようになるということです。
今、できること
では、私たちはどう生きるか。
疲れた時、どうしますか?多くの人は、さらに頑張ろうとします。休まずに、走り続けようとします。でも、それは違うのです。
疲れた時こそ、「望みをおく」ことが大切です。
「望みをおく」とは、何かを信頼するということです。信頼できるもの、頼れるもの、それがあるかないかで、人生は大きく変わります。
具体的には、どうするか。
一つは、今の状況が永遠ではないと知ることです。今、疲れていても、それは一時的です。人生には季節がある。春夏秋冬があるように、人生にも時間がある。今は冬かもしれませんが、必ず春が来ます。
もう一つは、誰かに頼ることです。一人で全部背負わない。配偶者に、友人に、神に、誰かに頼ることができるか。その勇気が、新しい力を生みます。
私は67歳で神学校に入学した時、人生で最も疲れていました。でも、その時に「もう一度、学びたい」という望みを持ったことで、新しい力が生まれました。その力は、外からのものではなく、内から湧き出た力でした。
疲れた時は、外の状況を変えようとするのではなく、内の心の向きを変えてみてください。希望を持つ。信じる。誰かに頼る。
その時、新しい力は確実に生まれます。
私の経験から
81年の人生を歩んできて、最も大切なことの一つが、この「疲れた時にどう対応するか」ということです。
貧困の時期、灯油を運ぶ体の疲労は、当然のことでした。でも、その時に心が折れなかったのは、「必ず良くなる」という望みと、「見守ってくださる存在がある」という信仰があったからです。
疲れることは、悪いことではありません。人間は限られた存在です。疲れるのは当たり前です。でも、その時に内なる力をどう保つか。それが、人生の質を決めるのです。
疲れているあなたへ。あなたは一人ではありません。鷲のように、高いところへ上がっていく力は、あなたの中にあります。
あなたへの願い
疲れた時は、走るのをやめて、少し立ち止まってください。
そこで、何か信じられるものを探してください。それが見つかった時、新しい力が生まれます。その力で、また歩み始めることができます。
あなたが疲れから解放され、新しい力を得ますように。
今日、考えてみてください
今、あなたは何を望みますか?その望みが、あなたに力を与えていますか?


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