あなたも感じたことありませんか?
毎日、何かを決断し、何かに判断を下し、何かに対応している。
朝目が覚めた瞬間から、スマートフォンを見て、メールをチェックして、仕事のことを考えて。その流れの中で、自分が何を望んでいるのか、わからなくなっていることはありませんか?
「なぜ、こんなに疲れているのだろう」
「何かが足りない気がするのに、何が足りないのか、わからない」
多くの人は、その答えを「外」に求めます。新しい情報、新しい経験、新しい人間関係。
でも、実は、その答えは「内」にあるのではないでしょうか?
特に、日本社会では「動く」ことが美徳とされます。じっとしていることは「怠け」だと思われる。静かに考える時間は「無駄」だと思われる。
でも、本当にそうでしょうか?
実は、多くの優れた決断は、静かに考える中から生まれているのです。
もし、そうだとしたら…
静かに、立ち止まることは、本当に「無駄」なのでしょうか?
そして、その静寂の中で、私たちは何を「知る」ことができるのでしょうか?
古い書物の言葉
古代の知恵の書に、こんな言葉があります。
「静まって、わたしがいることを知れ。」(詩篇46:10)
二千年前に書かれたこの言葉は、非常にシンプルですが、非常に深い意味を持っています。
「静まって」——これは、単に「音を立てるな」という意味ではなく、「心を静める」「思考を止める」「外部の刺激から距離を置く」という意味です。
古代のユダヤ人たちにとって、瞑想や祈りは、非常に重要な実践でした。なぜなら、その静寂の中で、本当に大切なものが見えるようになるからです。
「わたしがいることを知れ」——ここでの「わたし」というのは、個人個人の「自分自身」と考えることもできます。
つまり、この言葉は「静まることで、あなた自身を知ることができる」ということなのです。
私たちは、毎日、外部からの刺激に応答しています。その中で、本当の「自分」を見失っているのではないでしょうか?
「私は、何が好きなのか」
「私は、本当は何を望んでいるのか」
「私は、誰なのか」
そうした根本的な問いに対する答えは、静寂の中で初めて浮かび上がってくるのです。
さらに、この言葉が素晴らしいのは「知れ」という表現です。
「信じよ」ではなく、「知れ」なのです。つまり、それは、理屈を超えた「認識」「気づき」「体験」なのです。
多くの人は、何かを「信じる」のに時間がかかります。でも、静寂の中で、ある瞬間、ふっと「わかる」ことがあります。それが「知る」ということなのです。
言い換えれば、静寂は、私たちを、本当の自分に再び接続させるための、非常に有効な手段なのです。
今、できること
では、具体的に、静寂の時間をどのように作り、その中で何をすればいいのでしょう?
まず、毎日、最低でも5分、完全に静かな時間を作ってみてください。
スマートフォンを見ない、テレビをつけない、誰かと話さない。ただ、静かに、自分と向き合う時間です。
その時間に、特に何かをする必要はありません。ただ、呼吸をして、何が心に浮かんでくるかを、観察するだけで構いません。
最初は、雑念ばかりが浮かぶかもしれません。「仕事のことを忘れなきゃ」「あの人のことが気になる」。そうした思いが、次々と浮かんでくるでしょう。
でも、それでいい。その雑念を「いけないもの」だと思わず、ただ、観察する。やがて、その流れの向こうに、もっと深い層の思いや、気づきが現れてくるのです。
次に、その静寂の中で、自分に問い直してみてください。
「私は、本当は何が好きなのか」
「私の人生で、本当に大切なものは何か」
「今、私が変えたいと思っていることは何か」
これらの問いに、即座に答える必要はありません。むしろ、問いを心に残して、それが、静かに、心の中で働き始めるのを待つのです。
さらに、自然の中で静寂を体験することも、非常に効果的です。
朝、人気のない公園に行く。川のそばで、水の音を聞く。木の根元で、風の音に耳を傾ける。
そうした中で、人工的な騒音ではなく、自然の「静けさ」を感じることで、心が、本来の状態に戻っていくのです。
そして、もし可能なら、定期的に、瞑想やヨガなどの実践を習ってみるのもいいでしょう。
これらは、静寂の中で、自分の内側と接続する、一つの方法なのです。
私の経験から
私は、長い人生の中で、ほとんど、静寂を求めることをしませんでした。
仕事に忙しく、家族の世話に忙しく、様々なことに対応することに追われていました。
63歳でうつ病になり、やむを得ず、その活動を止めた時、初めて、長い静寂が訪れました。
最初は、それが苦しかった。何もできない、何も考えられない。ただ、時間が過ぎていくだけ。
でも、やがて、その静寂の中で、ある気づきが現れ始めたのです。
「あ、私は、長い間、本当の自分を忘れていたんだ」
「何をするかではなく、私は誰なのか、そのことを知る必要があるんだ」
その気づきが、やがて、67歳での信仰へ、そして、今の、より豊かな人生へと導いていったのです。
今、81歳の私は、毎朝、夜明け前に、一人で静寂の時間を過ごします。その5分、10分が、一日の質を大きく左右することに、気がついているからです。
その静寂の中で、私は、自分とつながり直し、本当に大切なものを、思い出すのです。
あなたへの願い
もし、あなたが今、忙しさの中で、本当の自分を見失っているなら、ぜひ、静寂を試してみてください。
それは、決して「怠け」ではなく、最も本質的な「自己への投資」なのです。
その静寂の中で、あなたは、あなた自身を、新たに「知る」ことができるでしょう。
あなたが、少しずつ、本当の自分に近づいていきますように。
今日、考えてみてください
今日、あなたは、どのくらいの静寂の時間を過ごしましたか?そして、明日、最低でも5分、静かに自分と向き合う時間を作ることはできますか?


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