あなたも感じたことありませんか?
誰かに傷つけられたこと、ありませんか。
信頼していた人に裏切られたこと。大切にしていたものを、踏みにじられたこと。
そして、その出来事が、何年も心の中に残っていること。
「あの人は、許せない」
そう思うたびに、心が重くなる。思い出すたびに、怒りがよみがえる。
私も、そうでした。若い頃、人間関係でひどく傷ついたことがあります。そのことを、何年も引きずっていました。
でも、ある時、気づいたんです。相手を責めている間、苦しんでいるのは、自分だけだった、と。
もし、そうだとしたら…
なぜ、人を赦すのは、こんなにも難しいのでしょうか。
赦すことは、相手のためでしょうか。それとも、自分のためでしょうか。
古い書物の言葉
古代の知恵の書に、こんな言葉があります。
「互いに親切にし、優しい心で赦し合いなさい」(エペソ人への手紙4章32節)
これは、今から約2000年前に書かれた手紙の一節です。
当時も今も、人は人を傷つけ、傷つけられる。その痛みは、変わらないんですね。
この言葉で心に留まるのは、「互いに」という言葉です。
一方的に赦しなさい、ではない。誰もが、傷つけたことがあり、傷つけられたこともある。完璧な人など、いないのです。
そして、「優しい心で」と続きます。
赦すというのは、ただ我慢することではない。冷たい心で「もういいよ」と言うことでもない。「優しい心で」赦す。それが、本当の赦しなんですね。
この言葉は、「自分も赦されてきた」という視点も語っています。
自分も、誰かを傷つけたことがある。誰かに迷惑をかけたこともある。それでも、赦されてきた。だから、自分も、人を赦すことができる。
人を赦せないとき、一番苦しいのは、実は自分自身です。
相手は、もう忘れているかもしれない。でも、自分は、ずっと苦しんでいる。
赦すことは、相手を自由にすることではありません。自分を、その苦しみから自由にすることなんです。
赦すことは、相手が正しかったと認めることではありません。ただ、「もう、この怒りに支配されたくない」と決めることです。
今、できること
では、どうすれば、赦すことができるのでしょうか。
大きなことは、できなくてもいいんです。小さな一歩から、始めてみませんか。
相手のことを思い出したとき、「もう、考えるのをやめよう」と、意識的に別のことを考える。
「あの人も、苦しんでいたのかもしれない」と、少しだけ、相手の立場を想像してみる。
「自分も、誰かを傷つけたことがあるかもしれない」と、振り返ってみる。
紙に、自分の気持ちを書き出して、破り捨てる。
赦しは、一瞬で起こることではありません。プロセスです。
時間がかかってもいい。少しずつ、前に進めばいい。
そして、ある日、気づくんです。「あの人のこと、考えても、もう苦しくない」と。それが、赦しの完成かもしれません。
私の経験から
正直に言うと、私も人を赦すのが、とても苦手でした。
傷つけられたことを、何年も覚えていました。「あの人は、絶対に許せない」と思っていました。
でも、歳を重ねて、気づいたことがあります。その怒りを抱えている間、一番苦しんでいたのは、自分だった、と。
ある時、「もう、この苦しみから解放されたい」と思いました。それが、赦しの始まりでした。
今でも、簡単に人を赦せるわけではありません。時間がかかることもあります。
でも、以前よりは、少しだけ、楽になりました。赦すことは、相手のためじゃない。自分のためなんだ、と。
あなたへの願い
あなたが、心の重荷を、少しずつ降ろしていけますように。
あなたが、その苦しみから、自由になれますように。
あなたの心に、小さな平安が訪れますように。
今日、考えてみてください
今日、心の中の怒りを、少しだけ手放せますか?


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