あなたも感じたことありませんか?
誰もが、何か言ってしまった言葉を後悔する経験があります。
「あのとき、違うことを言えば良かった」
「あんなことをしなければ、こんなことにならなかったのに」
そういう時、私たちはどうするでしょう?
多くの場合、それを隠そうとします。忘れようとします。あるいは、その話題を避ける。さらには、自分のせいではないと、誰かのせいにしてしまう。
特に、相手が大切な人であればあるほど、その傾向は強くなります。「ごめんなさい」と言うことが、どれだけ恥ずかしいことか、どれだけ勇気がいることか。言ったら、相手が自分を嫌いになるのではないか。関係が壊れてしまうのではないか。そんな恐れが、心の中で大きくなっていくのです。
だから、多くの人は、その過ちをずっと心に抱えたままでいます。夜中に思い出しては、もう一度後悔する。その相手に会うたびに、罪悪感が蘇る。時間が経っても、その傷は癒えない。むしろ、そっと置いておいた過ちが、心の奥底で、静かに腐っていくような感覚さえあります。
「もう、この関係は戻らないんじゃないか」
そんな諦めが、心の中に沈んでいくのではないでしょうか?
もし、そうだとしたら…
あなたは、その過ちを、誰かに認めてもらいたいと思っていますか?
それとも、もう遅すぎると思っているのでしょうか?
古い書物の言葉
古代の知恵の書に、こんな言葉があります。
「もし、私たちが自分たちの過ちを認めるなら、神は忠実であり、正しくあって、その過ちを赦し、すべての不正から私たちをきよめてくださいます。」(1ヨハネ1:9)
二千年前に書かれたこの言葉は、一見、宗教的な話に聞こえるかもしれません。でも、ここで大切なのは「神」という言葉ではなく、「過ちを認めること」の力について述べられているという点です。
古代のユダヤ文化では、「認める」ということは、単に「そうだと言う」ことではなく、「心から受け入れる」という意味でした。つまり、自分の過ちを心から認め、その責任を引き受けるということです。
この言葉が素晴らしいのは、過ちを認めた時に起こることを描いているからです。
「赦し」という言葉が使われています。これは、相手が私たちを許すということだけではなく、より深くは「その過ちによって生じた関係の裂け目が、修復される」という意味です。
さらに「すべての不正からきよめてくださる」とありますが、これは「その過ちに付随している罪悪感や後悔も、一緒に取り去ってくださる」という意味に理解できます。
つまり、過ちを認めた瞬間、二つのことが起こるということです。
一つは、その過ちによって傷ついた関係が、修復へと向かうということ。
もう一つは、その過ちに伴う心の重さが、取り去られるということ。
言い換えれば、「過ちを認める勇気」は、単に相手への謝罪ではなく、自分自身を心の牢獄から解放する行為なのです。
今、できること
では、具体的に、どうしたらいいでしょう?
まず、その過ちを、もう一度、思い出してみてください。
できれば、一人で静かな場所で。その時何があったのか、自分は何をしたのか。その相手はどんな気持ちになったのか。そして、今、その人がどう思っているのか。
そうやって、過ちの全体像を、心で受け止めてみるのです。ごまかさず、否定せず、ただ、受け止める。
次に、その相手に会う機会をつくってください。
電話でもいい、メッセージでもいい、できれば直接会えるなら尚良いです。そして、短くていいから、こう言ってみてください。
「あの時のことで、ごめんなさい」
それだけで構いません。理由や言い訳は、後からでいい。まず、過ちを認める言葉を発する。その勇気が、すべてを変えます。
もし、相手がまだ怒っているなら、その怒りを受け止めてください。それは当然の感情です。
でも、多くの場合、相手は、その言葉を待っていたのです。ずっと、あなたからの誠実な謝罪を。その言葉が出た瞬間、相手の心も、少しずつ解けていくでしょう。
そして、もし相手がまだ気が進まないなら、焦らないでください。時間をかけて、少しずつ、信頼を取り戻していく。それで十分です。大切なのは、「歩み始める」ことなのです。
私の経験から
私は、長い人生の中で、たくさんの過ちをしてきました。
仕事の中での判断ミス、人間関係での言葉の暴力、妻に対する不誠実さ。完璧な人間ではありませんでした。むしろ、63歳でうつ病になったのも、そうした過ちの積み重ねの中で、心が疲弊していたのかもしれません。
でも、人生の後半で、一つのことに気がつきました。
過ちを認めることの素晴らしさです。
妻が亡くなった後、過去を振り返る中で、いくつかのことを「認め」「受け止める」ことができました。すると、心の中にずっと引っかかっていたものが、スッと消えていくのを感じたのです。
それは、他の誰かからの許しを得たというより、自分自身が自分を許し、心を解放したという感覚でした。
完璧である必要はありません。誰もが、何らかの過ちを持っています。大切なのは、それにどう向き合うか、ということなのです。
あなたへの願い
もし、あなたの心に、長い間、何か引っかかっていることがあるなら、その過ちを認める勇気を出してみませんか?
それは、相手を傷つけるのではなく、むしろ関係を深めるはずです。
そして、何より、あなた自身の心を、牢獄から解放することになるのです。
心が軽くなる体験を、ぜひしてみてください。
今日、考えてみてください
あなたは、今、誰に対して「過ちを認める勇気」を出したいですか?その一歩を、踏み出してみませんか?


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