今日一日を生きる

日々の気づき

あなたも感じたことありませんか?

朝起きた時から、頭の中は「明日のこと」でいっぱい。

「来月の給料は足りるだろうか」「来年、仕事は大丈夫だろうか」「子どもの将来は」

そんなことばかり考えていて、気がつくと、今、この瞬間を生きていないことに気づきませんか?

人間は、未来を予測し、計画する動物です。それは、確かに、大切な能力です。

でも、その「未来への心配」が、現在の時間を、完全に奪ってしまっていることはありませんか?

特に、日本人は「先を見越す」ことを美徳とします。今から準備しておく。今から心配しておく。そうすることで、「万が一」に備えるのです。

でも、その結果、どうなるでしょう?

「万が一」は、ほとんど起きない。それなのに、ずっと心配し続けている。その心配の時間は、決して取り戻せない。一度失われた「今日」は、もう二度と戻ってこないのです。

「もっと、今を大切にしたい」

そう思っても、その思いと、現実の不安のギャップに、多くの人は苦しんでいるのではないでしょうか?

もし、そうだとしたら…

今日一日を、本当に生きるには、どうしたらいいでしょう?

そして、未来への心配を、完全には捨てないまでも、少し、手放すことはできるのでしょうか?

古い書物の言葉

古代の知恵の書に、こんな言葉があります。

「だから、明日のことを心配してはいけません。明日は、自分たちのことを心配します。今日の苦労は、今日だけで十分です。」(マタイ6:25-34)

二千年前に語られたこの言葉は、現代人の悩みを、完全に言い当てています。

「明日のことを心配してはいけません」

これは、未来への計画をするなということではなく、「明日のことを心配することは、今日の幸せを奪うから、やめなさい」ということなのです。

「明日は、自分たちのことを心配します」

この表現は、非常にユーモアを持っています。つまり、「明日になったら、明日のことを心配すればいい。今、明日のことを心配する必要はない」ということです。

さらに素晴らしいのは「今日の苦労は、今日だけで十分です」という言葉です。

これは、「今日は、今日の課題だけに集中しなさい」ということです。

古代のユダヤ人たちにとって、「苦労」というのは、生活の一部でした。毎日が、一日一日の生存の戦いだったのです。だからこそ、この言葉は、非常に切実な意味を持っていました。

「今日、生きるのに精いっぱい。それで十分だ。明日のために、今日を犠牲にするな」

言い換えれば、「今日という時間を、完全に生きなさい」ということなのです。

ここで注目すべきは、この言葉が「楽観主義」を勧めているのではなく、「現在への集中」を勧めているということです。

未来への準備をするな、ということではなく、「未来への心配で、今を失うな」ということなのです。

今、できること

では、具体的に、今日一日を生きるには、どうしたらいいでしょう?

まず、朝、目が覚めた時に、一つのことを決めてみてください。

「今日、一日、私は何に集中したいのか」

それは、仕事かもしれません。家族かもしれません。自分の健康かもしれません。何でもいい。ただ一つ、「今日のテーマ」を決めるのです。

そして、その「今日のテーマ」だけに、心を向ける。明日のことは、心の片隅に追いやってしまう。

次に、毎日、「今、この瞬間」に戻る練習をしてみてください。

仕事をしている時も、食事をしている時も、誰かと話している時も、「あ、今、私はここにいる」と、意識を現在に戻す。

その時、スマートフォンを見ている場合ではなく、目の前の人の顔をきちんと見る。口にしている食事の味を、しっかり味わう。その瞬間の音を、聞く。

そうして、「今」を、完全に生きるのです。

さらに、夜、寝る前に、一日を振り返ってみてください。

「今日、何が良かったのか」

大きなことである必要はありません。小さなことで構いません。温かいお茶が飲めた、友人が笑った、風が気持ち良かった。

そうして、今日という一日に、感謝する。そして、明日への心配は、心から追い出す。

明日は、明日が心配すればいい。今夜は、今日という日が、自分の中で完結する感覚を持ったまま、眠りにつくのです。

私の経験から

私は、長い人生の中で、いつも、未来のことばかり心配していました。

仕事が安定するまで、給料が十分になるまで、子どもが育つまで。いつも、「いつか、本当の人生が始まるんだ」と思っていました。

でも、63歳でうつ病になり、食費月1万円の貧困に落ちた時、初めて気がついたのです。

「あ、いつかは、来ないんだ。あるのは、今日だけなんだ」

その時点で、「未来への計画」は、すべてが無くなりました。あるのは、今日、明日をどう生きるか、ただそれだけ。

その中で、私は、初めて、「今日一日を生きる」という意味を、理解し始めたのです。

妻が毎朝くれた温かい味噌汁の味、窓から見える空の色、友人からの一本の電話。

そうした「今日」の小さなことが、実は、人生の中で、最も大切なものだったんだと。

今、81歳の私は、毎朝、目が覚めた時に、「今日、一日、ありがとうございます」と言うようにしました。

その日がいつまで続くのか、わかりません。でも、その「今日」を、完全に生きる。その決意が、毎日を、豊かにしてくれているのです。

あなたへの願い

もし、あなたが今、未来への心配で、現在を失っているなら、ぜひ、立ち止まってください。

今日という日は、二度と戻ってきません。

その今日を、完全に生きることが、実は、最も確かな未来への投資なのです。

あなたが、今日という一日を、心から大切にしますように。

今日、考えてみてください

あなたは、今日、どのくらい「今日」を生きましたか?そして、明日のために、今日の何かを、諦めていませんか?

コメント

タイトルとURLをコピーしました