自分の理解に頼らない

仕事と学び

あなたも感じたことありませんか?

自分で考えて、自分で決断し、その結果、失敗したことがありませんか?

「あの時、こうしていれば良かった」

多くの人は、その瞬間、後悔します。そして、その後悔から、一つの結論に達するのです。

「次は、もっと慎重に考えよう」「もっと情報を集めよう」「もっと計算を正確にしよう」

つまり、「自分の理解と判断を、もっと強化しよう」という方向に向かうのです。

ですが、実は、人間の理解と判断には、限界があるのではないでしょうか?

特に、日本人は「自己責任」を重視します。自分の判断で決めたことは、自分で責任を取る。それは、確かに、大切な思想です。

でも、その「自己責任」の前提に、「自分の判断は正しい」という、一種の過信があるのではないでしょうか?

実は、多くの優れた決断は、「自分の理解の限界を知った上で、それでも決断する」という場所から生まれているのです。

もし、そうだとしたら…

自分の理解に頼らない、というのは、どういう意味でしょう?

そして、自分の理解以外に、何に頼ればいいのでしょうか?

古い書物の言葉

古代の知恵の書に、こんな言葉があります。

「心を尽くして信じ、自分の理解に頼るな。すべての道で、その大きな知恵を求めよ。そうすれば、あなたの道は、まっすぐになる。」(箴言3:5-6)

二千年前に書かれたこの言葉は、人間の判断力の限界について、非常に明確に述べています。

「心を尽くして信じ」——ここでの「信じる」というのは、「何かより大きな力や知恵がある」という認識のことです。

「自分の理解に頼るな」——ここが、この言葉の核です。

つまり、「自分の論理的思考、自分の知識、自分の経験だけで判断するな」ということなのです。

なぜなら、人間の理解というのは、所詮、限定的なものだからです。

私たちが見ている世界は、実は、ほんの一部に過ぎません。自分が知っている情報は、世界中に存在する情報のごく一部です。自分の人生経験は、世界に存在する経験のほんの一部です。

そうした限定的な視点から、「これが最善の判断だ」と、完全に確信することは、実は、危険なのです。

「すべての道で、その大きな知恵を求めよ」

ここでの「大きな知恵」というのは、自分の理解を超えた、もっと広い視点からの知恵を意味しています。

それは、他の人の意見かもしれません。人類が長い歴史の中で培ってきた知恵かもしれません。自然の営みから見える法則かもしれません。あるいは、名付けようのない「何か」かもしれません。

言い換えれば、「自分の理解の外にある、より大きな視点から、判断しなさい」ということなのです。

「そうすれば、あなたの道は、まっすぐになる」

これは、実は、心理学的にも、人生経験的にも、非常に真実です。

自分の理解だけで判断する人は、往々にして、自分の見方の偏りに気がつきません。だから、同じ失敗を繰り返す。

しかし、自分の理解の限界を認識し、より大きな視点から判断しようとする人は、より正確な判断ができるようになるのです。

今、できること

では、具体的に、自分の理解に頼らず、判断するには、どうしたらいいでしょう?

まず、何か重要な決断をする前に、一度、止まってみてください。

「私は、この判断について、本当にすべてを理解しているだろうか?」

その答えは、ほぼ、間違いなく「いいえ」のはずです。

次に、その決断について、他の人の意見を聞いてみてください。

特に、自分と異なる立場や経験を持つ人の意見は、非常に貴重です。なぜなら、その人は、自分とは異なる視点から、その決断を見ているからです。

賛成の意見も、反対の意見も、両方を聞いてみる。そして、その中に、自分が見落としていた視点がないか、探してみるのです。

さらに、過去の先人たちの知恵を借りてみてください。

本を読む、歴史から学ぶ、先輩に相談する。そうした中に、同じような決断を迫られた人たちの経験が、眠っているかもしれません。

そして、最も大切なのは、決断した後に、その結果を見守る、ということです。

自分の理解に頼らないということは、「他の力に身を委ねる」ということでもあります。

決断をした後、それがうまくいかなかったとしても、「自分の理解の限界がそこにあった」と学ぶのです。

私の経験から

私は、長い人生の中で、自分の理解だけで判断し、失敗したことが、数え切れません。

若い頃の仕事の判断、人間関係の決断、人生の進む方向。

63歳でうつ病になった時、初めて気がつきました。

「あ、私は、自分の理解だけで、ずっと判断してきたんだ。そして、その大半が、間違っていたんだ」

その苦い経験の中で、67歳の時、別の視点——信仰という形の、自分の理解を超えた知恵——に出会ったのです。

その時から、私の決断は、大きく変わりました。

何か決めるときに、自分だけで考えるのではなく、他の人に相談する。本を読む。祈る。

そうして、自分の理解の外にある知恵を、意識的に取り入れるようにしたのです。

その結果、81歳の今、人生は、明らかに「まっすぐ」になったように感じます。

完璧ではありません。今でも、間違った判断をすることがあります。

でも、その過ちさえが、より大きな知恵へ向かう、一つのステップになっているような気がするのです。

あなたへの願い

もし、あなたが今、何か重要な決断を迫られているなら、ぜひ、一度、立ち止まってください。

「自分の理解だけで、本当に判断できるだろうか」

その問いの中に、答えが隠れています。

自分の理解の限界を認識することは、決して「弱さ」ではなく、最も「強く、賢い」選択なのです。

あなたの人生の道が、より真っすぐに進むことを、願っています。

今日、考えてみてください

あなたが今、判断しようとしていることについて、自分の理解の外から見たら、どう見えるでしょう?そして、その視点を得るために、誰に相談できますか?

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