あなたも感じたことありませんか?
「愛する」という言葉を、どのように理解していますか?
恋愛映画を見ると、愛とは、激しく、劇的で、時には、すべてを失ってもいいほどの感情に見えます。
でも、人生は、映画ではありません。
現実の愛は、もっと、静かで、地道で、目立たないものではないでしょうか?
夫婦が、毎朝、一緒にお茶を飲む。友人が、困った時に、黙って助ける。親が、子どもの成長を、静かに見守る。
そうした「普通の愛」が、実は、人生を、支えているのです。
でも、そうした「普通の愛」は、目立ちません。
だから、多くの人は、「本当の愛」が、どこにあるのか、わからなくなるのではないでしょうか?
自分は、愛されているのか。自分は、誰かを愛しているのか。
その問いに、明確な答えを、持つことは、難しいのです。
特に、現代では、「愛」という言葉は、使い古されてしまった。
恋愛コンサルタント、自己啓発本、テレビドラマ。どこもかしこも、「愛」を語っています。
でも、その「愛」が、本当に何なのか、誰も、明確には、説明できていないのです。
では、本当の愛とは、何なのでしょう?
もし、そうだとしたら…
もし、本当の愛の意味が、明確にわかったら、あなたの人生は、どう変わるでしょう?
そして、その愛は、特別な人にだけ、向けられるものなのでしょうか?それとも、誰にでも、向けられるものなのでしょうか?
古い書物の言葉
古代の知恵の書に、こんな言葉があります。
二千年前、あるお祭りの夜、一人の教師が、弟子たちに言いました。
「私は、あなたがたに、新しい戒めを与えます。互いに愛し合いなさい。私があなたがたを愛したように、あなたがたも、互いに愛し合いなさい。」(ヨハネ13:34)
この言葉は、古代のユダヤ社会で、語られました。
「新しい戒め」——つまり、これは、それまでの戒めと、異なる、何か新しいものを、提示しているのです。
「互いに愛し合う」
ここでの「愛」という言葉は、原語では、「アガペー」と言われます。
これは、恋愛的な愛(エロス)ではなく、相手を、相手のために、尊重し、献身する愛のことです。
つまり、「相手のために、相手を、そのままで、受け入れ、支える」という意味なのです。
さらに、大切なのは、「互いに」という言葉です。
つまり、一方的ではなく、相互的な愛のことなのです。
あなたが、相手を愛する。その愛が、相手に届き、相手も、あなたを愛する。
その相互的な愛こそが、人間関係を、深く、温かくするのです。
そして、この教師は、「私があなたがたを愛したように」と言っています。
つまり、その愛の質を、説明しているのです。
この教師(イエスと呼ばれる人物)は、弟子たちを、どのように愛していたのでしょう?
聖書の記述によれば、彼は、弟子たちの足を、自分で洗いました。
当時のユダヤ文化では、足を洗うことは、奴隷の仕事でした。
つまり、地位の高い者が、地位の低い者の足を洗うことは、あり得ない行為だったのです。
でも、彼は、それを、しました。
なぜなら、彼は、愛とは、「相手を、どれほど高く評価しているか」ではなく、「相手のために、何を、するのか」だと、示したかったのです。
その愛の示し方が、「足を洗う」という行為だったのです。
つまり、本当の愛とは、「相手のために、自分を低くする」ことなのです。
「互いに愛し合う」——それは、全員が、相手のために、自分を低くする。
その相互的な低さの中に、本当の愛が、生まれるのです。
現代への適用
では、具体的に、「互いに愛する」という実践を、どのようにすればいいでしょう?
まず、「愛する」を、「思いやる」と、言い換えてください。
愛という言葉は、使い古されていますが、「思いやる」という言葉は、もっと、具体的です。
相手のことを、考える。相手の気持ちを、想像する。相手にとって、何が、必要かを、考える。
それが、「思いやり」です。
次に、その思いやりを、「行動」に表してください。
思いやっているだけでは、相手には、伝わりません。
言葉で、伝える。行動で、示す。時間を使う。労力を使う。
相手のために、何か、具体的なことをするのです。
さらに、その行動が、「相手のために」であることを、意識してください。
自分の評価を得るためではなく、自分の満足感を得るためではなく、相手のために。
その意図が、相手に、伝わるのです。
そして、最後に、「相手も、同じように、自分を思いやってくれるのを、待つ」ことです。
つまり、相互的な愛のシステムを、信頼することです。
あなたが、相手のために、思いやり、行動する。
その行為が、相手にも、届き、相手も、あなたを、思いやるようになる。
その相互的な愛が、人間関係を、深くしていくのです。
私の経験から
私は、若い頃、「愛する」という言葉を、あまり、考えていませんでした。
仕事があり、家族があり、それで、十分だと思っていたのです。
でも、63歳でうつ病になり、貧困に落ちた時、初めて、「愛」の意味が、わかり始めました。
誰かが、私を、思いやってくれた。言葉をかけてくれた。時間を使ってくれた。
その時に、初めて、「ああ、これが、愛なんだ」と気がついたのです。
その後、67歳で神学校に入り、ボランティアの仕事をしていく中で、さらに、その思いは、深まりました。
年配の人たちの話を聞く。その人たちのために、何かする。
その相互的な愛の中に、人生の本当の意味が、あることを、知りました。
81歳の今、私は、「愛する」ことが、人生で、最も大切なことだと、確信しています。
なぜなら、愛することで、初めて、自分の人生が、他の人の人生と、つながるからです。
あなたへの願い
もし、あなたが今、「本当の愛とは何か」という問いを、抱えているなら、「思いやり」という言葉から、始めてみてください。
相手のことを、考える。相手のために、何かする。
その小さな行動の中に、本当の愛が、隠れているのです。
そして、その愛が、やがて、相手にも、伝わり、相互的な愛が、生まれるのです。
その愛が、人生を、温かく、深くしていくのです。
今日、考えてみてください
あなたは、今日、誰かのために、何かを、しましたか?そして、その行動の中に、どんな思いやりが、隠れていたでしょうか?


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