主こそ、私への割り当てです(哀歌3:24)

信仰の歩み

旧約聖書・哀歌は崩壊したエルサレムの痛みの中で書かれました。すべてを失ったように見える状況の中で、作者はただ一つ確かなものを見出します──「主こそ、私への割り当てです。」
これは所有物や役割ではなく、「人生の中心に主をいただく」という信仰告白です。


1. このみことばが語る“割り当て”とは

1-1 土地ではなく“主ご自身”が人生の基盤

当時のイスラエルでは「割り当て=相続地」を意味します。
しかしここでは土地でも富でもなく、「主ご自身」が割り当てだと言っています。
言い換えるなら、「人生で一番大切なものは神そのもの」という宣言です。

1-2 状況が揺れても変わらない唯一の土台

苦しみ、損失、将来への不安…。
人生の“持ち物”は揺れ動きます。
しかし、主は変わりません。
だから作者は、絶望の中でもこの告白に立つことができたのです。


2. 現代の私たちにとっての“主が割り当て”とは

2-1 成果や役割よりも、神との関係が中心

現代は成果主義・スピード社会です。
しかし聖書は「最も価値ある中心は、神との関係そのもの」と語ります。
役割や成功に疲れた心を、主は静かに受け取ってくださいます。

2-2 主が私を支える保証となる

「割り当て」とは、人生の保証のことでもあります。
未来が見えず不安でも、
“主が私の分なら大丈夫だ”
と告白できる──これが信仰の力です。


3. この告白が与える3つの実際的な恵み

3-1 心の安定が回復する

失っても、揺れても、主は変わらない。
心の軸が神に置かれると、不安の波に飲まれにくくなります。

3-2 新しい希望が湧いてくる

哀歌3章の文脈は絶望のどん底ですが、
だからこそ、この告白が光となりました。
私たちの闇にも同じ光が差し込みます。

3-3 神に委ねる平安が与えられる

自分で全てを握りしめなくてもよい。
主が人生の責任を負ってくださる。
この平安は、状況がどうであれ失われません。


 4. “今日の祈り”

主よ、
あなたこそ、私への割り当てです。
私の心を満たし、私の歩みを支えるお方は、
成功でも役割でもなく、あなたご自身です。
今日もあなたを信頼します。
アーメン。

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