あなたも感じたことありませんか
クリスマスの季節になると、どんな贈り物をしようか考える人は多いでしょう。子どもの頃、大事な人からもらったプレゼントを何度も開け直したり、自分が何かを贈る時に、相手が喜ぶ顔を思い浮かべたり。贈り物というのは、単なる「物」ではなく、その人の気持ちや想いが詰まっているものです。
でも、時には疑問に思うことはありませんか。本当に高い物、立派な物を贈ることだけが、心からの贈り物なのだろうか。もっと大切な、目に見えない何かがあるのではないか。そんなことを考えたことはありませんか。
もし、そうだとしたら…
では、本当の意味での贈り物とは何でしょう。相手を思う気持ちでしょうか。それとも、その贈り物に込められた「時間」や「労力」でしょうか。あるいは、相手の人生に何かをもたらす力のあるもの、ということでしょうか。
古い書物の中に、深く考えさせられる贈り物のお話しがあります。
古い書物の言葉
聖書のマタイによる福音書の2章に、こんなお話しが記されています。
イエスが生まれた時、東の方から博士たちがやって来ました。彼らは長く苦しい旅を続けながら、一つの星を頼りに、その子を探していたのです。やっと見つけたとき、彼らは「ぬかずいて、礼拝した」と書かれています。(マタイの福音書2:1-12意訳)
そして彼らが持ってきた贈り物は三つ。黄金、乳香、没薬です。
黄金は、王への最高の敬意を表す贈り物でした。乳香は、神聖な儀式で使われる香りで、神への敬拝を表していました。没薬は、遠い未来、その子の苦難と死を象徴する香りでした。
注目すべきは、この三つの贈り物が、ただ「貴重だから」というだけではなく、一つひとつに深い意味が込められていたということです。博士たちは、相手が何者であるかを理解した上で、その人に対する敬意と信仰を、贈り物に翻訳したのです。
彼らは何千キロもの距離を、時には危険な道を、ただ一つの星を信じて旅してきました。その到着した時点で、既に最大の贈り物を与えていたのです。それは、自分たちの時間、労力、信仰でした。そして物理的な贈り物は、その想いを形にしたに過ぎません。
今、できること
現代社会では、贈り物はすぐに用意できます。オンラインショッピングで何でも手に入り、配送も早い。でも、その時に忘れやすいことがあります。
本当の贈り物とは、「何をあげるか」ではなく、「その人のためにどれだけ考えたか」なのです。
相手は誰か。相手は何を必要としているか。相手にとって何が意味があるか。相手の人生にとって、今この瞬間に何が役立つか。
誰かに何かを贈る時、少し立ち止まって考えてみてください。高い物かどうかではなく、その贈り物が「相手の人生にとって意味があるか」を。
子どもに本をあげるなら、その子の好きなジャンルや、今その子が興味を持っていることについて考える。親友に何かあげるなら、その人が何に喜び、何に悩んでいるかを想像する。同僚に小さなものをあげるなら、その人への敬意と感謝の気持ちが伝わるものを選ぶ。
そのような「考える時間」「相手を想う姿勢」こそが、最も価値のある贈り物の第一歩です。
私の経験から
81年の人生で、いろいろな贈り物をもらってきました。子どもの頃、貧しい家庭でしたが、親がくれた手作りのおもちゃ。仕事の仲間がくれた、ちょっとした気遣い。難しい時期に、友人がくれた一言の励まし。
最も覚えているのは、高い贈り物ではなく、「その人が自分のことを考えてくれた」という事実です。
砿山で働いていた若い頃、上司が私にくれた助言がありました。高い物ではなく、たった一つの言葉でしたが、その言葉は何十年も私の心に残りました。なぜなら、その言葉の背後には、「お前の成長を心配している」という想いがあったから。
贈り物を考える時、相手の人生のことをどれだけ考えられるか。その姿勢が、贈り物の本質だと思います。
あなたへの願い
誰かに何かを贈る機会があったら、思い出してください。東方の博士たちが、何千キロもの道を、一つの星を信じて旅したことを。贈り物そのものよりも、その背後にある「相手を想う時間」が、最も価値のあるものなのです。
あなたが誰かに何かを贈る時、そこに愛が込められていますように。
今日、考えてみてください
最近、あなたが心を込めて贈った物か、もらった物は何ですか?その時、どんな気持ちを感じましたか?


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