朝起きてから夜寝るまで、一日中何かに追われている。
スマートフォンを見れば、次々と情報が流れてくる。メールの返信、SNSの通知、ニュースの速報。やることリストは、いつまでも終わらない。
気づけば、自分の心の声が聞こえなくなっている。
「本当は、どうしたいのだろう?」 「何が大切なのだろう?」
そんなことを考える余裕さえ、なくなってしまった。
なぜ、私たちは立ち止まれないのでしょうか?
忙しいことが、当たり前になっています。
何もしないでいると、不安になる。時間を無駄にしているような気がする。だから、常に何かをしていなければと、自分を追い立てる。
でも本当は、心のどこかで気づいているのかもしれません。
静かな時間が、必要だということに。
古代の知恵が教えてくれること
古代の詩、詩篇に、こんな言葉があります。
「静まって、知れ。わたしこそが神であることを」
これは今から3000年ほど前に書かれた、祈りの詩です。
「静まって、知れ」
この短い言葉が、深い意味を持っています。
当時のヘブライ語では、この「静まる」という言葉は、「手を放す」「力を抜く」という意味も含んでいました。つまり、何かを掴もうと必死になっている手を、そっと緩めること。
現代風に言えば、「一度、すべてを手放して、静かになってごらん」という呼びかけです。
何もせず、ただ静かにいる。その時、見えてくるものがある。聞こえてくる声がある。
忙しさの中では気づかなかった、本当に大切なものが、見えてくるのです。
それは自分の心の声かもしれない。家族の本当の気持ちかもしれない。これからの人生の方向性かもしれない。
静まることで、初めて「知る」ことができる。そう教えてくれています。
静かな時間を持つには
では、どうすれば日常の中に、静かな時間を作れるのでしょうか。
難しく考える必要はありません。
朝、5分だけ早く起きて、窓の外を眺める。コーヒーを飲みながら、何も考えずにただ座っている。
夜、寝る前にスマートフォンを置いて、今日一日を振り返る。
通勤電車の中で、イヤホンを外して、窓の外を見る。
ほんの少しの時間でいい。何もしない時間、静かにいる時間を、意識的に作ってみる。
最初は、落ち着かないかもしれません。何かしなければと、そわそわするかもしれません。
でも、それでいいのです。
ただそこにいる。呼吸をする。音を聞く。風を感じる。
そんな時間が、心を整えてくれます。
散歩も良いでしょう。目的地を決めずに、ただゆっくり歩く。
お茶を淹れる時間も、静まる時間になります。お湯が沸く音、茶葉の香り、ゆっくりと味わう。
日記を書くのも、心を静める方法の一つです。誰に見せるわけでもない、自分だけの言葉を綴る。
81年を生きてきて
私は、毎日、朝にデボーションという時間を持っています。
聖書を読み、静かに祈り、その日の思いを綴る。ほんの15分から30分ほどですが、この時間が、私の一日を支えてくれています。
若い頃は、そんな時間は無駄だと思っていました。もっと働かなければ、もっとやらなければと、がむしゃらに走り続けました。
でも63歳でうつ病になり、すべてが止まった時、初めて気づいたのです。
静かな時間が、どれほど大切か。
忙しさの中では見えなかったものが、静まることで見えてくる。自分の心、家族のこと、本当に大切なもの。
今では、この静かな時間が、何よりも貴重です。
あなたの心に、静けさを
忙しい日々に、少しだけ静かな時間を。
完璧でなくていい。5分でもいい。ただ、立ち止まって、静まってみる。
その時間が、あなたの心を癒し、本当に大切なものを教えてくれるかもしれません。
今日という日に、小さな静けさが訪れますように。
今日、あなたはどこで、静かな時間を持てるでしょうか?


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