夜、布団に入っても眠れない。
明日の仕事のこと。来月の支払いのこと。子どもの将来のこと。自分の健康のこと。
心配事が、次から次へと頭をよぎる。考えても仕方ないと分かっているのに、止められない。
朝になると、疲れが取れていない。そんな日々が続く。
思い煩いは、心を疲れさせます。
なぜ、私たちは思い煩ってしまうのでしょうか?
心配するのは、悪いことではありません。
大切な人のことを思う。将来に備える。それは責任感の表れでもあります。
でも、心配が「思い煩い」になると、違ってきます。
何度も同じことを考えて、答えが出ない。眠れなくなる。食事も喉を通らない。そして、目の前の大切なことが、見えなくなっていく。
思い煩いは、私たちから今を奪います。
古代の知恵が教えてくれること
古代の知恵の書に、こんな言葉があります。
「何を食べようか、何を着ようかと思い煩うな。空の鳥を見なさい。種も蒔かず、刈り入れもせず、倉に納めることもしない。それでも、養われている。あなたがたは、鳥よりも価値があるではないか」
「野の花がどうして育つのか、よく見なさい。働きもせず、紡ぎもしない。それなのに、どんな王様の衣装よりも美しく装っている」
「だから、明日のことを思い煩うな。明日のことは明日が思い煩う。今日の苦労は、今日だけで十分」
これは、今から2000年前にイエスという人が語った言葉です。
当時も、人々は思い煩っていました。食べ物のこと、着る物のこと、明日のこと。今と同じです。
イエスは、自然を指さして言いました。
「見てごらん。鳥は、明日の餌を心配して眠れなくなったりしない。花は、どうやって美しく咲こうかと悩んだりしない。それでも、ちゃんと養われ、美しく咲いている」
これは、「何も考えなくていい」という意味ではありません。
必要なことは、ちゃんとやりなさい。でも、コントロールできないことまで背負い込んで、心を病ませる必要はない。
今日という日を、大切に生きなさい。
そう教えてくれています。
思い煩いを手放すには
では、どうすれば思い煩いから解放されるのでしょうか。
まず、できることとできないことを分ける。
明日の天気は変えられない。でも、傘を用意することはできる。
会社の業績は変えられない。でも、今日の仕事を丁寧にすることはできる。
子どもの将来は決められない。でも、今日、子どもの話を聞くことはできる。
できることに集中し、できないことは手放す。これだけで、心は少し軽くなります。
次に、今に集中する。
思い煩いは、いつも「未来」のことです。まだ起きていないことを、あれこれ想像して不安になる。
だから、「今」に戻ってくる。
今、目の前にあること。今日の食事。今日の仕事。今日会う人。
今日できることを、ひとつずつ。それで十分です。
そして、小さな感謝を見つける。
朝、目が覚めた。温かいご飯が食べられた。青空が見えた。
当たり前だと思っていたことが、実は当たり前ではない。気づくと、心が満たされていきます。
散歩もいいでしょう。空を見上げる。鳥の声を聞く。花を見る。
自然は、思い煩いません。ただ、そこにある。それだけで美しい。
私たちも、そうありたい。
81年を生きてきて
正直に言います。私も、思い煩いの人生でした。
若い頃は、お金のことばかり心配していました。タバコを1日80本吸って、お酒もたくさん飲んで、不安を紛らわせていました。
63歳でうつ病になり、仕事を失いました。食費月1万円の貧困生活。毎日が不安でした。
「このまま、どうなるのだろう」
そればかり考えて、眠れない夜が続きました。
でも、不思議なことに、その日その日は、なんとかなりました。
誰かが助けてくれた。何かが与えられた。思いがけない道が開けた。
今思えば、あれほど心配していたことの半分も、起こりませんでした。
そして67歳で、新しい人生が始まりました。
81歳になった今、ようやく分かります。
思い煩っても、何も変わらない。それよりも、今日を大切に生きる。それが一番だと。
今日を、大切に
思い煩わなくていい。
明日のことは、明日考えればいい。
今日という日を、丁寧に生きる。目の前のことに、心を込める。
そうすれば、道は開けます。
あなたの心に、平安が訪れますように。
今日、あなたが手放せる「思い煩い」は、何ですか?


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