信仰の歩み

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互いに愛する

「愛する」を、どう理解していますか?古代の言葉に「互いに愛し合いなさい。私があなたがたを愛したように」とあります。愛とは、激しい感情ではなく、相手のために自分を低くすること。イエスが弟子の足を洗ったように。63歳で貧困に落ちた私が学んだのは、相手を思いやり、行動すること。その小さな行動の中に、本当の愛が隠れている。その愛が、人生を温かく深くするのです。
信仰の歩み

主こそ、私への割り当てです(哀歌3:24)

「主こそ、私への割り当てです」(哀歌3:24)は、人生の基盤を所有物ではなく主ご自身に置く信仰告白です。絶望の中でも確かな希望を与えるみことばとして、現代の不安や揺れの中で心の安定と平安を回復させる力があります。
信仰の歩み

あなたも感じたことありませんか?

自分の価値を、給料や肩書きで測ってしまったことはありませんか?63歳で仕事を失い、貧困の中で私が学んだのは、「あなたは、そのままで愛されている」ということです。二千年前の言葉が、現代を生きる私たちの心に、小さな光を灯します。完璧である必要はない。成功している必要もない。ただ「あなたである」という理由だけで、大切にされるべき存在なのです。
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何もしない時間が、人生を変える

静かな時間がない。常に何かに追われている。現代を生きる私たちの日常です。でも、古代の詩人は知っていました。静まることで、初めて見えてくるものがあることを。自分より大きなもの。自分を支えているいのちの力。その感覚は、瞑想のように見えて、実は人生全体を変える力を持っているのです。
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やり直しは、いつでもできる

「もう、取り返しがつかない」そう思ったこと、ありませんか?大きな失敗をしてしまった。信頼を裏切ってしまった。大切な人を傷つけてしまった。謝りたいけれど、今さら遅い。受け入れてもらえるはずがない。だから、遠ざかったまま。そんな後悔を抱えて、前...
人生の転機

67歳で神学校へ〜人生に遅すぎることはない〜

67歳で学生になると決めたとき、「大丈夫か?」という不安はあった。でも、シンガポールの宣教師のメッセージに心を動かされ、「この人から学びたい」と思った。入学式に遅刻し、ギリシャ語に苦戦しながらも、若い仲間と共に学ぶ日々は愉しかった。人生に「遅すぎる」ことはない。